- 1904年5月20日
- 東京日日新聞
東郷連合艦隊司令長官より軍艦初瀬及吉野遭難に関し大本営に達せし報告の要領左の如し。
其一
本職は茲に不幸なる変災の報国を進達するを遺憾とす。十五日午前五時千歳、出羽司令官よりの無線電信報告によれば本日午前一時四十分頃第三戦隊は旅順口封鎖の任務より帰航中山東角の北方海面に於て濃霧に遭ひ春日は吉野の左舷艦尾に衝突し吉野は浸水甚だしく終に沈没せり。春日より出したる救助艇にて収容されたる者機関長以下約九十名なりと濃霧未だ晴れず痛心に堪えず。
其二
本日は海軍に在って最大の不幸の日にして、茲に又最も不幸なる報告を進達するの止むを得ざるに遭遇せり。初瀬、敷島、八島、笠置、竜田は本日午前十一時頃旅順口沖にて敵を監視中初瀬より曳船送れの電信に接したるを以て将に之を発送せんとする時、更に敷島より初瀬は第二の水雷に罹り終に沈没せりとの悲報来れり。本職は之を報告するに臨み、只だ遺憾至極といふの外なし。善後の処置に就ては夫々出来得る丈けの手段を尽し災厄を増大せざるに努め居れり。当地附近濃霧未だ晴れず。
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