- 1912年9月14日
- 萬朝報
――轜車発引の時を期して割腹――
――夫人も倶に咽喉を貫て死す――
明治天皇の霊柩を送りまつりし悲しき夜我等又更に一の悲報に接しぬ、それは日露の役に偉勲を樹てゝ赫々たる名誉を天下に輝かしたる乃木将軍殉死の報是れなり、而かも夫人も倶に膝を並べて刃に伏し同じ途に赴きぬと聞くに及びて、吾等は悲痛の情益々深きを覚えき。
△深き覚悟
陸軍大将従二位勲一等功一級伯爵乃木希典氏(六十四)は、先帝の崩御以来憂愁の情堪へ難く、悶々として世を儚なみ、深く心に期する所ありしものの如く、辞して先帝の霊柩にも供奉ぜず、桃山御陵への供奉も否なみ特別の思召黙しがたくて、英皇帝御名代官コンノート親王殿下の接伴掛長を拝し殿下御下御入京の節は親しく御出迎へ申上げたるが、其後病と称して閉ぢ籠り、夫人しづ子(五十四)と供に日夜斎戒沐浴し居たり、十三日は朝四時頃起き出でて、夫人と共に水垢離を取りたる後午前九時頃馬車に同乗して参内し、午後四時頃赤坂新坂町五十五の邸に帰りたるが、其の前麻布区竜土町十二山田写真師を招き邸前に写真を撮りたるは深き覚悟のありたるを知るべし。

△美事なる自殺
この日大将は、奥の八畳の客室の床の間に先帝、今上両陛下の御真影を掲げ、供物を捧げ己れは大将の正服を着け、夫人は紋附の晴着を装うて膝を縡り午後八時先帝の霊柩宮城御発引に際し、号砲一発闇を劈て轟きたる末期とし大将は軍刀にて腹一文字に掻き切り、返す刀に咽喉を突き、其切尖は頸を貫き、夫人は短刀にて先づ心臓を突きたる上、更らに咽啼を貫き、共に美事なる自殺を遂げたり同家の女中の語る所によれば、大将は此の日夕方、女中と書生とに向ひ御大葬を奉送し来たれと云ひ渡したるも、女中二人だけは残り居たるに、夫妻は一室に籠りたる儘、何時まで経つとも出で来らず、余りに物静かなれば入口の扉を開けんとせし所、内から鍵をかけたりと見えて開かざるより女中は怪しんで胸轟き、副官従卒等と共に戸を破って室内に入って見ると右の始末に驚きたるなり、傍には石黒軍医総監其の他に宛てたる遺書数通あり、急報に接して学習院教授一名、村上一等軍医に共に駈け付けしも時既に遅く、手当の甲斐もなかりしとは惜しむべし、遺言状は未だ何人も開封せざれど、聖上陛下に奏上の件をも依嘱しあるものの如く、先帝に殉死したるならんとの説多きを占めたり。

乃木将軍殉死の刀と静子夫人殉死の短刀
△夫人令甥の談
記者は今晩二時夫人しづ子の令兄なる貴族院議員湯池定基氏を芝区芝公園十三号地の邸に訪ふ定基氏は既に大将邸に赴きたる後なりしが、大葬奉送に参列されたる息定彦氏は午前一時半頃帰宅して凶報に接し、蒼皇大将邸に赴かんとする所なるを要して篤く慰問の辞を述たるに、定彦氏曰く
「自殺されたのは号砲と同じ午後八時頃との事で自分も今帰って初めて此事を耳にした許り、詳細の事情は全く判りません、先日私の宅へ見えた折も別に変った事なく、元来忠君愛国の外に他年のない、何事も他言せぬ人でしたから原因等は一向に推し兼ねます。折角のお訪ねですが出かける所ですから失礼します。」
とて悄然たる様、真に気の毒なりき。